今回の記事では、将棋の名人戦のシステムや、名人の決め方について解説していきます。
目次
名人戦は最も歴史のある将棋タイトル戦
名人は将棋界の頂点!1年に1回のタイトルマッチ!
名人戦は、竜王戦と並び将棋界の頂点ともいえるタイトル戦です。1年に1回名人戦が行われ、現役の名人と挑戦者が対局します。現役の名人が勝てばタイトル防衛となり、挑戦者が勝てば新たな名人の誕生となります。
将棋名人は江戸時代からいる!?
将棋の名人の起源は江戸時代までさかのぼります。しかし、当時の将棋名人は世襲制で、大橋本家、大橋分家、伊藤家という3つの家の中で最も強い人が名人の称号を受け継ぐというシステムを取っていました。
現行の実力制名人のシステムは1935年から
現在のように、世襲制ではなく実力で名人が決められるようになったのは1935年からのことです。初めての実力制名人を決めるリーグ戦は2年にもわたり、1937年に木村義雄が初代実力制名人となりました。
名人戦の挑戦資格は?A級で1位になること!
A級リーグで1位になれば名人へ挑戦できる
将棋のプロ棋士は、A級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組の5つのランクに分けられています。棋士は1年かけて「順位戦」というランク内での対局をすることになります。そしてそのランクで成績が優秀だった棋士は一つ上のランクに昇級、成績が悪かった棋士は下のランクに降級することになります。
そしてプロ棋士の中でも1番上のランクであるA級戦で1番優秀な成績を取ると、その年の名人への挑戦権を得ることができます。挑戦者と名人は名人戦で対局することになり、勝った方が来期の名人になります。
永世名人になるには?
名人位を5期以上保持した棋士は、「永世名人」の資格を得ることができます。永世名人の資格を得た棋士は、棋士引退後に「○世名人」という称号を名乗れるようになります。○の部分には数字が入り、今まで永世名人を獲得した棋士が十四世から順に永世名人となっています。なお十四世から始まるのは、かつて名人位が世襲制だったとき、最後の世襲制名人が十三世であったことに由来しています。
名人戦のルール
名人と挑戦者の7番勝負
順位戦でA級1位となり名人への挑戦権を得た棋士は、名人戦で名人と対局します。名人戦は7番勝負で、先に4勝したほうが新しい名人となります。
持ち時間は9時間!2日に分けて行う
名人戦の持ち時間は9時間にもなり、1局を2日かけて行います。この持ち時間はプロの将棋の対局の中でも最長となります。2日にかけて戦うため、1日目の終わりには封じ手を行います。
封じ手とは1日目の最後の1手を実際には指さずに、紙に指し手を書いて封筒に入れ記録係に渡すというシステムです。これは1日目と2日目の間の対局中断中に、手番となる対局者が次の手を考えてしまうことで有利にならないようにしています。
名人の経験がある歴代の棋士
羽生善治
引用:日本将棋連盟
やはり名人と言えば羽生善治先生というイメージの方も多いのではないでしょうか。デビュー9年目の1994年に初めて名人のタイトルを奪取しました。そして2008年にはついに永世名人の資格を得ることに成功し、引退後には十九世名人を名乗ることとなります。
加藤一二三
引用:日本将棋連盟
バラエティ番組の印象が強いひふみんこと加藤一二三先生も、実は名人位の在籍経験のあるトップ棋士の一人です。デビューから29年目の1982年に名人位を手にしました。名人戦の出場は計4回ありましたが、名人のタイトルを獲得していたのは通算1期となります。
佐藤天彦
引用:日本将棋連盟
2006年デビューの佐藤天彦先生は、若手の強豪棋士です。2016年に羽生善治との名人戦に勝利し、74期名人となります。またファッションやクラシック音楽が好きなようで、棋士仲間からは「貴族」というあだ名で呼ばれています。
森内俊之
引用:日本将棋連盟
1987年にプロ入りした森内俊之先生は、2002年に初めて名人位を獲得します。2007年には、永世名人の資格を得て、十八世名人となりました。森内先生の将棋は受けが強い棋風が特徴で、「鉄板流」「鋼鉄の受け」等と呼ばれています。
谷川浩司
引用:日本将棋連盟
1976年にプロデビューした谷川浩司先生は、1983年に初めて名人位を獲得します。当時21歳だった谷川浩司先生は、史上最年少の名人となりました。1997年には、通算5期目の名人位を獲り、十七世名人の資格を得ました。谷川浩司先生の将棋は、終盤の素早い寄せから「光速の寄せ」と呼ばれることもあります。
中原誠
引用:日本将棋連盟
中原誠先生は、1965年にデビューすると4年連続で順位戦を昇級し、最速でA級棋士となります。1972年に大山康晴先生と名人戦を戦い、初の名人位を獲得します。その後名人戦を5連覇し、1976年に十六世名人の資格を手にしました。
米長邦雄
引用:日本将棋連盟
米長邦雄先生は1971年(デビュー9年目)にA級昇級を決めています。現役時代は中原誠先生や大山康晴先生との激闘を繰り広げました。数々のタイトルを手にしましたが、名人位だけはなかなか獲得することができず、49歳~50歳のときに第51期名人としてはじめて名人のタイトルを獲得しました。しかし翌年は、A級昇級1年目の羽生善治先生が名人戦に勝ち上がり、タイトルを奪還されてしまいます。
大山康晴
引用:日本将棋連盟
大山康晴先生は1940年にデビューした棋士で、大山の時代から今のような順位戦のシステムが導入されました。十五世名人・永世十段・永世王位・永世棋聖・永世王将の5つの永世称号をもっています。なんと名人のタイトルを13連覇、通算では18期という大記録を持っています。
升田幸三
引用:日本将棋連盟
升田幸三先生は1934年にプロ入りし、大山康晴先生のライバルとして活躍した棋士です。将棋指しを目指して家を出たときに、升田幸三先生は母に「名人に香車を引いて勝つ」と言ったというエピソードが有名です。升田幸三先生は実際に1956年に当時名人だった大山康晴先生に香落ちで対局し、勝利しています。今のプロの将棋では駒落ち対局のルールは採用されていないため、おそらく後にも先にも名人に香落ちで勝つのは升田幸三先生のみとなるでしょう。
僕の名は?
失礼いたしました。
漏れのあった個所の加筆させていただきました。