この記事では、プロ棋士の順位戦という対局について、仕組みやシステムを解説します。
目次
そもそも順位戦って?
プロ棋士のメインの対局が順位戦
順位戦とは、ざっくりいうとプロ棋士のメインの対局となります。一番大きなリーグ戦だと考えていただければわかりやすいと思います。
順位戦によって、プロ棋士は5つのランクに分けられます。C級2組、C級1組、B級2組、B級1組、A級の5クラスで、A級が最も強いクラスとなります。
毎年各クラスの成績上位者が昇級、成績下位者が降級
順位戦は毎年6月から翌年の3月にかけて行われます。1シーズンを通してクラス内で優秀な成績を収めると次のクラスに昇級することができます。逆に成績が悪いと下のクラスに落ちてしまいます。
なお飛び級の制度はありません。つまり例えばB級2組でどんなにいい成績を残したとしても、いきなりA級に上がることはなく、次はB級1組への昇格となります。
順位戦は名人を決める予選!?
順位戦で一番上のクラスであるA級の中でもトップの成績を取った人は、その年の名人戦の挑戦権を得ることができます。つまり、名人戦というのはその年のA級で最優秀成績を取った棋士と名人による対局ということになります。
順位戦を名人への挑戦権をかけた戦いという見方をすれば、名人戦の予選ということもできます。なお名人は順位戦には参加しません。
順位戦のクラスをさらに詳しく!人数は?対局方法は?
順位戦は5クラス+フリークラスの計6クラス
順位戦では、下から順にC級2組、C級1組、B級2組、B級1組、A級の5クラスがあると説明しました。しかし、この5クラス以外にも「フリークラス」というものがあります。フリークラスというのは順位戦に参加しない棋士を指すクラスです。
フリークラスはC級2組からさらに降級した棋士や、編入制度などの特殊なシステムでプロ入りした棋士などが在籍しています。このクラスは例外的なクラスなので、詳しい説明は割愛します。
降級点システムについて
B級2組以下のクラスでは、成績が悪くてもすぐには降級しないようなシステムとして「降級点」という制度が導入されています。クラス内で成績が悪いと降級点という点が1点加算されます。この降級点が既定の点数に達すると下のクラスに降級するという仕組みになっています。
B級2組とC級1組では降級点が累計2点、C級2組では累計3点たまると降級します。なお降級点が加算される棋士は、そのクラスでの成績下位20%の人数(小数点以下切り捨て)となります。
対局の組み合わせの決め方
対局の組み合わせは、A級とB級1組では総当たり戦となります。それ以下のクラスでは抽選で対局の組み合わせが決められ、1人当たり計10局指すことになります。
各クラスの人数と対局方法のまとめ
各クラスの人数や対局方法、昇級、降級の条件などをまとめます。
クラス | 人数 | 昇級条件 | 降級条件 | 対局数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
名人 | 1人 | - | 名人戦防衛失敗 | - | 挑戦者とどちらかが4勝するまで戦う |
A級 | 10人 | 名人戦で勝利 | 下位2名 | 総当たり | 上位1名が名人へ挑戦 |
B級1組 | 13人 | 上位2名 | 下位2名 | 総当たり | - |
B級2組 | 不定 | 上位2名or全勝 | 降級点2点 | 抽選で10局 | - |
C級1組 | 不定 | 上位2名or全勝 | 降級点2点 | 抽選で10局 | - |
C級2組 | 不定 | 上位3名or全勝 | 降級点3点 | 抽選で10局 | 降級するとフリークラスへ |
A級棋士って!?歴代の棋士は?
A級棋士に名人も含めると計11人になります。プロ棋士はおおよそ160~170人程度いるため、A級に在籍している棋士はプロ棋士の中でもトップ7%の超一流棋士と言えます。
そんなA級に在籍経験のある、歴代の有名棋士を集めてみました。
羽生善治
引用:日本将棋連盟
まず一番有名なA級棋士と言えば、羽生善治でしょう。1993年(デビュー9年目)で初めてA級になりました。
加藤一二三
引用:日本将棋連盟
今ではテレビタレントとしてのイメージが強い、ひふみんこと加藤一二三も元A級に在籍していたトッププロです。1958年(デビュー4年)でA級になっており、これはデビューから4年連続で昇級していることを意味しています。
渡辺明
引用:日本将棋連盟
渡辺明は、2009年(デビュー10年目)でA級に昇級しています。かつて20歳という若さで竜王のタイトルを獲得し、その後初代永世竜王になったことで話題になりました。しかしそんな渡辺明でさえ、A級棋士になるのにはデビューから10年もかかっているのです。A級棋士になるのがいかに難しいか物語っています。
中原誠
引用:日本将棋連盟
中原誠は、1965年にデビューすると4年連続で順位戦を昇級し、最速でA級棋士となります。十六世名人、および永世十段・永世王位・名誉王座・永世棋聖という5つの永世称号を持つ伝説級のプロ棋士です。
米長邦雄
引用:日本将棋連盟
米長邦雄は1971年(デビュー9年目)にA級昇級を決めています。現役時代は中原誠や大山康晴との激闘を繰り広げました。またはじめて名人のタイトルを獲得したときはなんと49歳で、50歳の時点でも名人に在位していました。
大山康晴
引用:日本将棋連盟
大山康晴は1940年にデビューした棋士で、大山の時代から今のような順位戦のシステムが導入されました。十五世名人・永世十段・永世王位・永世棋聖・永世王将の5つの永世称号をもっています。なんと名人のタイトルを13連覇もしたレジェンド棋士です。
升田幸三
引用:日本将棋連盟
升田幸三は1934年にプロ入りし、大山康晴のライバルとして活躍した棋士です。プロ棋士の中でもトップ中のトップがそろうA級の中で、勝率7割2分を誇った化け物級の棋士です。「新手一生」をモットーに掲げ、常に従来の定跡にとらわれない新しい一手を模索していました。その結果「将棋というゲームに寿命があるなら、その寿命を300年縮めた男」とまで言われるようになりました。